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『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』

唐沢俊一氏の『新・UFO入門』で述べられている「UFO問題はそれを見る人たちの中にある」という問題提起に触発されて始めた当ブログだが、全く更新しないまま長い期間(もう2年以上!)放置してしまった。おそらく御存じのとおり、当の唐沢氏の本は、他人の複数のブログからの記事盗用が明らかになり唐沢氏自身により自主廃版となった。
一方、70年代に集めたUFO研究誌を紐解いていこうというが、このブログのひとつの目的なのだが、その立ち位置として「UFO問題」を「人の問題」として考察したいという意図があることを上記の本を取り上げて示したものの、実際にこの作業を始めることは正直言って困難だと感じている。つまり、そのように問題を「分析」して「書く」ことに違和感がある。そう感じつづけて来て、停滞したまま現在に至っている次第である。
『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』(ハヤカワ文庫)という本がある。心理学者スーザン・クランシーが、自分で新聞に「エイリアンに誘拐されたことのある人求む」という広告を出し、彼等をインタビューして丁寧に調査した報告である。この本の最初の章にかかれているように、もともとは「人の偽りの記憶が生じるメカニズム」を探求しようとして、当初は児童虐待体験とその記憶の研究していたが、対象が対象だけに研究には様々な障害があって行き詰まり、研究対象をエイリアン・アブダクション体験者に変えたという経緯らしい。しかし、それは図らずも「人に不合理な信じ込みが存在する合理的な理由」を探求する研究となったという、とても興味深い本である。
彼女は、多くのアブダクティに会ってみて、その多くの人がごく普通の人に見えることをあげている。アブダクティが異様なのは、アブダクションをされたと信じているそのことだけだった。

なぜあえて異様な説明を選ぶのだろうか?睡眠障害やうつ状態や性機能障害の原因はいくらでも考えられるのに、なぜ批判を受けたり友人をなくしたりするおそれのある奇妙で不安をかきたてる説明を選ぶのだろう?
…(略)…21歳の大学生ロビンによる次の言葉が、それをもっともよく表している。「おかしな話だと思っているんでしょう。みんなそう思っているわ。自分でもそう思うし。でも、あなたがわかっていないのは、私はアブダクションを現実の出来事だと思っているし、あなたがどう思おうとかまわないということです。あの夜の感覚は…圧倒的で…恐ろしくて…部屋に何かいたんです。わたしに言えるのは、これはわたしの体験で、あなたの体験じゃないっていうことだけ。わたしは感じたの。エイリアンだったわ。」
(74~75ページ)

クランシーは、人は事実ではない話でも事実として扱うこと。それを意識的に行っている例としてアイリッシュ・ファクトの例をあげている。

アイリッシュ・ファクトとは、「本当は事実ではないが事実のような話で、話の流れをよくするために必要なもの」である。おそらく本当ではないけれど、本当であるべき話なのだ。わたしの親類は「わたしが作った話だけど、本当だと信じている」とよく言っている。わたしはアイリッシュ・ファクトを聞いて育った。

ここで彼女の家に伝わるドニー・マレーの逸話を引用している。かいつまんで書くと以下のような話。ドニーは高校の寄宿舎からガールフレンドを連れ出そうと消防車を盗み、ガールフレンドを窓から引っぱりだしたら、それは別の子で、火事だと叫ばれて大騒ぎになってしまい、やむなく女子全員を避難させるはめになった。

これは本当の話なのだろうか?もちろん誰にもわからない。だが、本当であるべきなのだ。そして、人に伝えられるたびに、ますます本当らしくなっていくのである。
わかってきたのは、アイルランド人であろうとなかろうと、人間はほとんどだれでも、アイリッシュ・ファクトのように話を作らずにはいられないということだ。
(105~106ページ)

そして彼女は、心理学者達がアブダクションの体験を空想癖やマゾヒスト的な願望にあると分析している点をあげた上で、その本来の意味は別にあるとしてひとつの結論を述べている。

ふつうの人がどのようにしてふつうでないことを信じるようになるかという疑問に取り組み始めたという点では、心理学者は賞賛されるべきだと思うが、そのような信じ込みが本人のどんな目的を満たしているかについては、いまだにほとんどピントはずれな説明しかなされていない。そのような説明を支持している研究者は、アブダクションの信じ込みに関して非常に重要なことー信じ込みが生まれた根底にあるおそらくもっとも重要な要因ーを見落としている。人生の意味を見つけたいという欲求だ。
(202ページ)

なにかの物語がなければ人生を理解できない。エネルギーがわかない。その物語がどんなに非現実的であっても、自分を救う力があるなら人はそれを信じざるを得ないということだ。いや、それによって死ぬことを選ぶ人もいるだろうから、必ずしも救うということではないかも知れない。いずれにせよ、人はいつも何か物語を選ぶのだということが、この本を通じて分かる気がする。
こういった興味深い考察が述べられていると同時に、とりわけ僕がこの本をすてきだと思うのは、クランシーのアブダクション体験者へのまなざしに温かいものを感じるところにある。

アブダクティーはわたしに、人間はいろいろな信念体系を試しながら生きているということを教えてくれた。これらの信念体系のいくつかは、科学とはほとんど関係ないような強烈な感情の欲求——社会の中で孤立したくない欲求や、特別な権力や能力を持ちたいという願望や、宇宙に自分より大きな存在がいて自分を見守って欲しいという望みなど——に訴えかける。アブダクションの信じ込みは、ただの悪しき科学(バッド・サイエンス)ではない。不幸を説明したり、個人的な問題の責任を回避したりするためだけのものではない。アブダクションを信じることによって、多くの人が精神的な渇望を満たしているのだ。宇宙の中に自分の居場所があることや、自分は大切な存在であることを教え、安らぎを与えてくれるものなのである。
(216ページ)

そうは言っても、実のところUFO事件というのは異様で気味が悪いものが多い。そういう物語を選ぶ人たち自身には不安定な要素があると思われるし、UFOに興味を持ったことがある僕には同様の要素があるのだと思う。したがって、この探求は自分にとっても過酷なことなのだ。だからこそ、このブログを再開してみようとするにあたって、クランシーのようなまなざしを最初に肝に銘じておきたくて、この文章を書いた次第です。
なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか (ハヤカワ文庫NF)/スーザン・A. クランシー

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